子どもの「泣き落とし」に負けないでね★泣いて得する習慣はNG

「泣けばすむ」

「泣けば思い通りになる」

「泣けば許してもらえる」

こういうことを身につけてしまうのは子どもにとってあまり幸せなことではないですよね。

そういう自我の通し方は、1人の人間として未熟なコミュニケーションの取り方であり、どこででも誰にでも通用するものではありません。

「あぁ、泣いちゃった…しかたないなぁ…」と周りの大人がゆるしていてそのまま成長すると、言葉での対等のコミュニケーションが取りにくい大人になってしまうかもしれません。

お友達や同僚などあなたの周りにいる大人で、思い通りにならないと泣く人はいますか?

それは流石にあまり見かけないかもしれませんが、

「思い通りにならないと感情的になる人」というのはいると思います。

子どもの頃に「泣く」とか「怒る」とかいう感情表現で人を動かしてきた人は、大人になるとやはり「怒り散らしたり」「泣き叫んだり」「物に当たったり」する事で自分の欲求を伝えてしまうことがあるのです。

周りの人にとってはちょっと困った人ですね。

勤務園では新年度が始まって2ヶ月。

子どもたちの人間関係にちょっと変化が出てきました。

親しくなってきた分遠慮がなくなりぶつかることも増えてきたのです。

その時に最も多いのが「泣く」。

悲しい時、辛い時、痛い時、寂しい時、どんどん泣いて良いと私は思っています。

けれども自分の我を通したい時にアピールのように泣き叫ぶのは、どうかなぁ??と思ってしまいます。

園ではそういう時はしばらく放って置くようにしています。

「泣いても思い通りになるわけではない」

ことを学んでもらうためです。

放って置かれると泣き止んでちゃんと話しをできる状態になることがほとんどですが、ずーーっと怒り泣きを続けることもあります。

ここで大人としては「負けそう」になりますね。

かわいそうだな、とか

うるさいから泣き止ませたいな、とか

こんなに泣いているのだから仕方ないか、とか考えて譲歩してしまいそうになるのです。

でも、ここでグッとガマン。

泣いても思い通りにならないと知ってもらうことが大切です。

そのあと、我が通らなかったことで消化不良を起こしているようなら個人的に話をして、「◯◯したかったんだね」と気持ちを受け止める時間を持ったりしています。

そして折に触れて、個人に対しても全員に対しても

「自分の考えや気持ちは 言葉で伝えよう」ということを繰り返しお話ししています。

「感情 で 伝えるのでなく、

感情 を 伝える」

これは、アンガーマネジメント協会の理事である戸田久実氏が教えてくださった言葉です。

子供の頃からそういう習慣を身につけていけたら、コミュニケーションが上手な人になっていけると思います。

私も心掛けます❗️

↑じゃがいも掘り行きました!

今日の私の「ふざけんな!」★怒りをゴミ箱に捨てる

怒りは自然な感情です。

あって当たり前の心の状態。

ムカっとすること、腹の立つことに遭遇するのは普通のことです。

大切なのは遭遇したとき、それをどう表現するか?あるいはどう処理するか?

それによって自分や周りの幸せ度が変わってきます。

…というわけで、アンガーマネジメントファシリテーターである私にも日々、ムカっと事項は訪れます。

今日ももちろんありました!

帰宅したら留守番電話がチカチカ点灯。

明日の仕事関係のことかと思い留守番再生すると

…「1分ほどのアンケートにお答えください」みたいな音声が流れてきました。

カッチ〜〜ンッ❗️

「ふざっけんなっっ!」

と受話器を置きながら独り言言っちゃいましたよ!

そしてそのあとは

〽︎ふーざけんなー ふざけんなー ふざけんなったら ふざけんなーー………はいっ!♪

と自作のいい加減なメロディを口ずさみ、最後の「はいっ!」でムカムカをゴミ箱に捨てるイメージで終わりにしました。

イライラを引きずるのは自分にも周りにもつまらないことなので、くだらない怒り事項には即バシッとケジメをつけたほうがあとあとラクですね。

怒りの感情は目に見えないものですが、イメージして手放すという方法は意外と効果があります。

実際に手を動かして怒りをクルクルッと丸めて放り投げるしぐさをする方もいますよ。

ぜひお試しくださいね!

うちのお風呂は怪しげです。

でもリラックス効果があるんですよー。

その怒り、ガマンしてはなりませぬ!

ムカムカ(6か6か)しても6秒待って、衝動的な怒りの失敗を避けよう!…ということで、今日 6月6日は

「アンガーマネジメントの日」です❗️

怒りで失敗したり、怒りにエネルギーを削られたりするのはもったいないことだと思います。

もっと有益なことに力を注ぎ、人生を楽しく豊かに過ごせたらいいですよね。

けれども、意外と誤解されやすいのが

「怒るのは悪いこと」

「怒ってはいけない」

という捉え方。

アンガーマネジメントをちょっと聞きかじって

「感情をコントロールして怒らなくなる方法」と思っている方がいらっしゃいます。

違います❗️

怒りのない人はいないし、怒りのない世界もないです。

それ、おかしいでしょ!?ダメでしょ!?と思う場面が全くなくなるなんてあり得ないです。

私、この間、駐車場で割り込みされてむかっ腹たちましたよ💢

ただ腹の立つこと全部に爆発的に怒っていたら、しっちゃかめっちゃかになってしまいます。

駐車場で割り込みした人に怒鳴って、それで何かの解決になるのか?健康的なのか?建徳的なのか?みんなが幸せになるのか?

アンガーマネジメントは未来解決志向です。

家族なり、子どもなり、同僚なりの言動に違和感がある時のに「怒っちゃいけない。ガマンしよう」というのはなんの解決にもなりません。

家庭や職場を良くしたいならあえて怒ることも必要なのではないでしょうか?

怒る…と言っても、感情的に怒鳴ったり断罪したりということでなく、自分の思いをしっかり相手に伝えるということです。

そのためにはもちろん「上手な伝え方」をすることが必要になってきますがね。

私はアンガーマネジメントを学ぶ前より今の方が怒ることが増えました。

以前は自分に自信がなかったこととも相まって、

「言っては悪い」

「自分さえ我慢すれば」

「嫌われたくない」

「場の雰囲気を悪くしたくない」

などという思いが先んじていたのです。

むやみにガマンし過ぎてしまうことは、心や身体を病むことにもつながってしまいます。

今はそこから自由になりました。

譲れること譲れないことをはっきりさせて、譲れないことに対してはうやむやにしないようにしています。

一方で、「譲れる範囲」は広がってきました。これは心がラクになりますねえ。

まだまだ途上ですが、

怒るべきことには怒り、そうでないものにはムダなエネルギーを使わない

これをもっと深めていきたいと思っています。☺️

子どもにつけさせたい「夢中力」

昨日、勤務園で「シンガポールデイ」を開催しました。

園児のお友達で現在シンガポールに在住の御家族をゲストに迎え、シンガポール式のチキンライスや英語の手遊び・ジャンケンなどを教えていただきました。

園児はシンガポールの国旗デザインのランチョンマットを作りましたが、その過程で「シンガポールの旗は赤と白でできている!」「星が5個ついている」などいろいろなことを発見していました。

ゲストが「星のひとつひとつに意味がある」ことも教えてくださり、楽しみながら知識を深めることができました。

私も、シンガポールについて実はあまり知らないのでいろいろ調べてみました。

その中で一番心にヒットしたのが、恥ずかしながら「ボボチャチャ」というスイーツです。

作ってみたい!!

やりたいスイッチON!

ボボチャチャとは 「ボボ」は「お粥」、「チャチャ」は「たくさん」で、「具だくさんのお粥」が本来の意味らしいですが、実際は具がたくさん入ったおしるこのようなデザート。

ココナッツミルクのの中にイモ類・豆類・タピオカなどが入っています。

ボボチャチャ作りのことで頭がいっぱいになり、時を忘れて集中して夢中で調べまくりました。

作るならおいしいほうがいいので、かぼちゃとサツマイモは蒸し器でじっくり蒸してホクホク感と甘さを引き出!。

豆は最近スーパーなどで手軽に手に入る蒸し豆ミックスと蒸し大豆を利用。

タピオカは、台湾土産にもらったナマのものを圧力鍋で煮てみましたが、若干長く加熱しすぎたのか、球状が消えて全部つながり、ボコボコした板状になってしまいました。

でも、捨てない!

冷やしてからこれをダイス状に切ったら、求肥よりも弾力のあるおいしい餅みたいになりました。このダイスタピオカと普通に成功した丸いタピオカ両方を使いました。

(このダイスタピオカが皮肉なことにとても好評!)

全てをココナッツミルクの中に投入すればもう完成です。

本場のレシピより、甘さは半分にしました。

ひじょ~~~においしく出来上がり、我ながら大満足です。(大きなガラスボールいっぱいに作ったのですが、写真撮り忘れました…)

この日学んだのは、「出会い」や「機会」によって「興味」が引き出されると、「やる気」が現れ、「失敗」があっても「工夫」「発想の転換」ができ、その先には「知識」がその人の中に蓄えられる…ということです。

園児たちもこの日の終わりには、他の国の国旗や言葉、食べ物に興味を持って自分から絵本などを選んで見ていました。

興味を持てるものに出会うことは子どもの心の成長だけでなく、知識を得させるのにもとてもいいのですね。

子どもを取り巻く大人たちは、子どもが夢中になれるもの・心にヒットするものと出会えるようなきっかけをたくさん作ってやれるといいですね。

まずは広くさまざまなものを見せたり聞かせたりやらせたりし、子どもの傾向を探ってみてはどうでしょうか。

それからだんだん子どもが興味を持つものに絞っていって、それを深めていく。

ただ、親が「これに興味を持ってほしいな」と思っても子どもはそれほどでないという場合もあります。

大人の願望で無理強いするのではなくて、その子目線で考えられるといいですね。

夢中になれることに出会うと、人はがんばれる!、そう思います。

子ども一人一人がそれぞれの夢中力を発揮できるようになっていったら素敵ですね!

 

幼児期に子どもの心を耕す★自然に触れる

今日は久しぶりにゆったりと自宅の庭いじりをしました。

狭いお庭ですが、花がらを摘んだり、タネから芽を出したミニトマトの葉っぱを観察したり、実り始めたラズベリーを愛でたり、ぶどうの花の開花を確認したりして時を忘れました。

私の周りをブンブンすごい羽音を立てながら蜂が飛んでいました。

私の庭ではラズベリーやブルーベリーの受粉のために、蜂🐝さんは駆除しない主義です。

見ているとその蜂さんは、土にあいた直径1.5センチくらいの穴の中に入っていきました。

穴から出てくるとまたどこかに飛んでいき、しばらくするとまた戻って…を繰り返していました。

(夕方に穴を見に行ったら、葉っぱが丸めてつめこまれていました!

調べてみたら、ニッポンヒゲナガハナバチという蜂のようです。)

まぁ、今日は庭で過ごした時間のなんと長いこと。

自然物に囲まれて触れていると癒されますね。

そして、五感が刺激されます。

見たり聞いたり触ったりかいだり、そういう体験は幼児期の子どもにもとてもいいようです。

私の勤める園では週に一度、自然豊かな森の公園に出かけますが、ここでの子どもの心の動きはほんとうにステキです。

発見して喜んだり感動したり、触って驚いたり叫んだり、どうしてだろう?と考えたり、もっとやってみようと好奇心全開になったり。

こういう経験を幼児期にした子どもはしあわせだと思います。

心の土台ができる時期にフワッフワになるまで耕される…そんな感じでしょうか。

そして、その人を形作る素材をたくさんストックすることになるんですね。

自然に触れるという体験、子育ての中に取り入れられるといいですねー。

親子でそういう時間を過ごせたら、親も心のリフレッシュができることまちがいなしです!

私は人の命を奪うかもしれない。

大津の事故のニュースは本当に衝撃的でした。

2つの立場から深く考えさせられました。

ひとつは運転者として。

私は毎日通勤に車を使っています。19歳で免許を取ってから30数年間、車のない生活は考えられないほどです。

ここ春日部あたりでは、駅近に住んでいない限り、クルマなしはかなり不便なのです。

でも、クルマは便利だけれど、意図せずして人の命を奪ってしまうこともあるものだと改めて思い知らされました。

ハンドルを軽く握ってはいけない。

凶器となりうるものを自分が操縦しているのだ!といつも意識し続けねばならぬ。そう思いました。

もうひとつは 保育者として。

勤務園でも頻繁に散歩や野外保育に出かけます。

全身を目にして、耳にして、細心の注意を充分に払っているつもりですが、それでも事故に遭う危険性はゼロではない。

今回の保育士さんたちに落ち度はなかったと私は思います。

けれども、同じような状況に遭遇したら私もまた幼い命を守りきれず、その結果 失意のどん底に放り込まれるに違いないでしょう。

保育士の仕事は「命を預かる」責任の重い仕事です。

命預かる者として、精神をすり減らすくらいでないといけない。

毎朝襟を正して、自分の負っている責任を自覚しつつ、この尊い務めにあたらせていただこう。

人の命を奪ってしまうかもしれない自分。

預かった命を守りきれないかもしれない自分。

そんな自分であることを忘れないでいる!それが大事なことなのだと思いました。

今回の事故に関係したおひとりおひとりに、慰めと励ましがありますようにお祈りします。

やさしくされて満ち足りて、そしてやさしくなっていく♪

私の勤める園は異年齢児混合保育なので、年少さんも年長さんもいっしょに過ごします。

入園したばかりの年少さんのAちゃんは、年長のお姉さんBちゃんにあこがれて、真似をしてみたり、くっついて歩いたりしています。

ある時Bちゃんに手をつないで欲しくって、Bちゃんの事情は顧みずに無理やり手をぎゅっと。

Bちゃんの方は今やっている遊びを中断されてちょっと困り顔。

それでも、Aちゃんの手を握り返して、ニコニコ笑いながら手をふりふりしてあげていました。

満足したAちゃんは、手を離してBちゃんと目と目をあわせてニッコリ。そのあとはBちゃんのそばで真似っこ遊びをしていました。

Bちゃんの優しい接し方、ほんとにステキだなぁと思いました。

この接し方はBちゃんもかつて、年上のお兄さんお姉さんたちから受けていたものです。

今は年長のBちゃんも、年少さんの時がありました。

年少さんは発達段階としては1人遊びから真似遊びに移行して行く時期であり、友だちと協力してとか譲歩しあってとかの前段階です。

自分がしたい!と思ったことを即座に行動にし、周りのことはあまり見えていません。

Bちゃんにもそんな時期があったのですが、そういう「わがまま」や「勝手」に見える行動を優しく受け入れられて、満ち足りて、今はこんなにステキなお姉さんに成長したんですねー。

Aちゃんも「やさしさ」をたくさん受けて、満ち足りて、きっとステキお姉さんになっていくんでしょうね〜。とても楽しみです♪

子どもたちとお絵描き。

ドラえもん、ミッキー、トトロ…なんか違わない⁈

親の死にどう関わるか?★延命治療、する?しない?

義父が天に召され、もう少しでひと月になろうとしています。

まだいろいろな手続きが残る中、ふと、生前の何気ない会話や笑顔がよみがえってきて、急に悲しくなることがあります。

あぁ、もうお父さん、ここにはいないんだなぁ…と思うと、なんとも言えない寂しさを覚えます。

それは、

ご飯の支度をしている時だったり、

雨戸を閉めている時だったり、

夜布団に入った時だったり、

…突然やってくるので驚きます。

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義父の旅立ちに際して、私たち家族は延命治療をしない選択をしていました。

延命治療とは、終末期において命を少しでも伸ばすためになんらかの医学的処置をすること。

私自身が20年前に乳がんの切除手術を受けるときに、延命治療はなし、と希望していました。

17年前に父を送った時も然り。

今度の義父の時も当たり前のようにそう考えていました。

私たち夫婦にとって、死とはやがて誰もが迎えるごく当たり前の道。

命は神様から与えられたものであり、いつか神様の元に帰る自然な人の営みだと捉えています。

もちろん、生きていて共に過ごし会話をしふれあえる喜びが、死によって絶たれてしまう寂しさはあります。

けれども、終わりは必ずくるのです。

終わりの時を自然な形で迎えたい、というのが願いです。

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私たちは夫婦で同じ見解でしたからスムーズでしたが、これが夫婦や兄弟、孫たちで違っていたら大変なのでしょうね。

知人は、家族でまっぷたつに意見が分かれてしまい悩んでいました。

当の本人は延命なしを望んでいるが、どんなことをしてでも1分でも1秒でも生きながらえてほしいと願う人もいます。

一方で、それは遺されるものたちのエゴだと考える人もいます。

その考えを「薄情だ」と感じる人もいます。

人それぞれなのです。

では、どうしたらいいか?

それこそその家族家族で出す答えは違うでしょう。

「死」はまだまだ日本人にとってタブーの色合いが濃いかもしれませんが、日頃から、そう、そういう状況になってからでなく、普段から家族でそのことについて互いの考えを交換しておくのが良いのかなと思います。

茶香炉にはまってます!

葬儀に紅白の水引き!*常識か!?非常識か!?

夫の父が天に召されました。

義父に繋がる人々と共に、心を込めてお見送りすることができました。

今回の葬儀でとても驚いたのが、紅白水引きの袋を持ってきた方がいたことです。

え?弔事に紅白⁉︎

表書きは「お見舞い」

ネットで調べてみましたら、「あり得ない」「はらわたが煮えくりかえった」「絶句した」…との反応が多数ありましたが、なんとそれが常識の地域があるようなのです。

茨城や長野の一部の地方、北陸?などにある風習らしいです。

その心とは?

①生前にお見舞いに行きたかったが行けなかったのでその気持ち

②家族が亡くなり、その心中を思いやる見舞いの気持ち

だそうです。

へえ〜〜〜!!

弔事に紅白なんて非常識!と思えば腹も立ちますが、

そういう思いやりの心が込められていると知れば、ありがたい思いになりますね。

怒りがわくか わかないかは、そこへの意味づけで変わるのです。

自分の常識や「べき論」だけで一刀両断するのでなく、幅の広い捉え方をしていくことが大切です。

怒りの取り扱いを上手にしていきたいですね。