泡ハンドソープ好きですか?★こだわりは怒りをまねくこともある!

自分の「こだわり」を見つける

私はあまりこだわらないタイプ…と思っているのですが本当かどうかはわかりません。

というのも「私ってあんまりこだわらないんだ〜〜」と言っている人でも、他人から見ると変なとこにこだわってたりする例がたくさんあるからです。

「こだわり」って、自分にとっては当たり前になってることが多いので、こだわってることに気づかなかったりするのです。

でも、こだわりが強くなりすぎることで生きづらくなることもあるので気をつけないといけません。

なので、私は時々「自分のこだわり見つけ」をします。

液体ハンドソープがいい!

職場で手を洗おうとしたらハンドソープが泡タイプでした。

キライってわけではなく、まぁ普通に使いますけど、自分のうちで使うなら断然液体タイプです!

くれるって言っても、泡タイプならもらいません。

フワフワ頼りなげで、洗った気がしない!…というのが使わない理由です。

洗浄力がどうのとか、利便性がどうのとか、そういったことは全く関係なく、まぁ、ただの好みですね☻

固形石鹸も選択肢に入れたら液体〉固形〉泡、です!

こだわりは怒りのタネになることも

こだわりは「この方が好き。でも、そうじゃなくても大丈夫」ならいいのですが、「こうでなければダメ」という思いがあまりにも強い場合は怒りの引き金になることがあります。

「怒り」は自分の大切な領域を侵されると発動します。

「強いこだわり」は「自分が安心できる枠」ですから、これが崩れそうになると怒ってしまうのです。

朝に必ずヨーグルトを食べる、というこだわりがあったとします。

ゆるいこだわりであれば、ヨーグルトが切れていても「まぁしょうがないか」と済ませられますが、

強いこだわりの場合は「落ち込みが激しい」「イライラする」「居ても立っても居られない」「切れていることに怒りが湧く」、となるのです。

子育ての中で、日常生活の中で、人間関係の中で、自分にどんなこだわりがあるのか時々客観的に見つめ直して見るといいですね。

無くて七癖といいますが、こだわりも無い無いと言っても誰にでも多かれ少なかれあるものです。

見つけてみるとおもしろいですよ。

そして客観的に「私にはこういうこだわりがるんだなー」とわかっておくといいと思います。

ぜひやってみてくださいね!

ホットケーキみたいなキノコ。

私はパンケーキはしっかり焼いてあるのが好きです。

半熟みたいなフワッフワのはどうも…。

なんだかバタバタ過ぎた夏…生活に充実感を持つにはどうしたらいいの?★サクセスログ

夏の終わりをどう感じる?

夏休みももうすぐ終わりますね。

みなさま、どんな風に過ごされましたか?

私は教員の友達が多いのですが、夏休みは普段に比べるとやはり少し余裕を持てるのが良いところです。

私も休み前に列挙しておいた「この夏のやりたいこと」を8割方達成しました!

東武線特急リバティに乗ること、スターウォーズのスピンオフ「ローグワン」をDVDで観ること、などまだいくつか残っていますが、この夏はもう無理かなぁ…。

でも、充分に充実した夏でした!

「いいなぁ。そんな風に思えない。バタバタの夏だった。暑さがひどかったし、やりたいことはそんなにできなかったし、忙しかったし。」

そんな風に残念な思いでいる方ももしかしたらいるでしょうか?

では、9月からの毎日を充実感溢れて過ごせるヒントを!

「できたこと」を想起する

アンガーマネジメント のテクニックで「サクセスログ」というものがあります。

生活を振り返ってみて「できたこと」を書き出すのです。

とりたてて大きなことでなくてかまいません。

朝ごはんを食べた

仕事に行った

子どもに優しいことばをかけた

ゴミを捨てた

…そんな些細な小さなこと、当たり前のことでいいのです。

自分にとっては当たり前のことであっても、それができない人もいるし、スゴイ!と思われるようなことかもしれません。

これを週ごとにやってみましょう。

きっと自分の自信と充実感につながっていきますよ。

私はこれを毎日やっています。

「できたこと」に限らず、嬉しかったこと、楽しかったこと、感謝すべきことを想起して心に書き留めます。

小さな充実感がたまっていくと、大きな充実感になります。

脳はネガティブな記憶をしやすい

ネガティブバイヤスと言って、悪いことの方が良いことよりも記憶に残りやすいという脳の特性があります。

だから放っておくと振り返ったときに、たくさんの感謝なことがあったことを忘れて「なにもいいことがなかった」「特記事項はない」と勘違いしてしまうのですね。

だから意識して「良いこと」を思い起こし、脳の記憶に定着させるということです。

幸せ感がアップしますよ!

「充実の幸せな秋だった!」と寒くなり始める頃に言えるように、今日から始めてみませんか?

美味しいものを食べると幸せホルモン・オキシトシンがアップ。

私は食べた時を思い起こせるように写真で残すことが多いです。

オムツを替えながら「早くしてよ!イライラするんだけど!!」★親の感情表現が子どもに与える影響

夏休みを利用して、石川・岐阜の旅を楽しんで参りました。

旅の途中いろいろな親子を見かけると、職業柄ついつい観察してしまう自分がいました。

今回最も衝撃的だったのは、推定2歳の女の子のママさんです。

ちょっとした休憩所でオムツパンツを替えていたママさんが、なかなか片足をパンツの穴に入れられない娘に対してキレたのです!

「早くしてよ!イライラするんだけど!!」

え?2歳児に言う?それ、要求する?とびっくりしました。

さらには、その女の子が特にビビるでもなく、泣くでもなく、言われるがまま為されるがままにしていた・・・というのも驚きです。

もしかして、この親子には日常の光景なのかな~とも思いました。

ぶつけるとスッキリする

このとき、あるママさんの話を思い出しました。

まだ小さいわが子にイライラした時、怒りの気持ちを子どもにぶつけるとスッキリするので、つい、すっきりしたくて怒鳴ってしまう・・・というのです。

確かに我慢しているよりも、ドカ~ンと爆発させた方が怒りのエネルギーが放出されてスッキリするということはあります。

でも、その場は自分がすっきりしていいかもしれませんが、長い目で見て子どもにとってはどうなのでしょうか?

アンガ―マネジメントの講演会では

*怒ってはいけないのではなく、怒るべき時には怒っていい

*怒る時には、長期的に見て自分や周りにとって健康的である方法を考える

ということをお伝えしています。

親が怒りを爆発させると子どもにどんな影響が?

怒りを爆発させるタイプの両親を持った私の経験から言うと、おもに三つの悪影響があると思います。

①委縮

怒りの感情に恐怖を持ち、いつもビクビクします。親の顔色を見るようになり、また、人間関係でもいつも周りを気にして本当の自分でいられません。

②自分って駄目

怒られてばかりいるので「自分」への信頼感がなく、自信がなく、そのせいで自分を取り繕ったり虚勢を張ったりします。激しい劣等感とそうではない!と言いたいニセのの優越感とが表裏一体となります。

③似る

幼少期から身近にあった「感情の表現方法」が刷り込まれ、激情的に怒りを放出するようになります。あるいは、それを抑え込もうとして自分を責めるようになります。

親が日常的に感情を爆発させていると、子どもは不安定な人格形成をしていくということが考えられます。

当然そのまま大人になると、人間関係にもさまざまな不都合が生じますし、何より、生きにくい。

自分と仲良くできず自分を好きになれないと、とても不自由なんです。

そんな思いを我が子にさせたくないですよね?

それにはまず親が自分の怒りの感情を上手にコントロールし、「ぶつけてスッキリ!」ではなく、子どもにも自分にも健康的なやり方を身につけていくことです。

冒頭のオムツ替えママの場合は、まずアンガ―マネジメントの暗号①6秒をやり過ごすこと、

そして暗号②怒りの境界線を考える。つまり、怒るべきことか怒らないで良いことか?を見極めること、

三つめに暗号③どう行動するか考える。つまり、怒ると決めたらどう伝えたら効果的に伝わるかを考えてリクエストすること、

この3ステップが怒りのコントロールの基礎となります。

もっと詳しくお知りになりたい方は、書籍や講座などがたくさんありますのでアンガマネジメント協会のHPをのぞいてみてください。

また、学校のPTA講演会や職場の研修などで私のことをお招きくださるのも一つの方法です。この秋は埼玉県の中高生会、群馬の高校の教員研修、江東区の小学校のPTA講演会などを予定していま~す。

五平餅を買う行列!

もちろん、並びました!

「親の面倒はみないでください」★親孝行はしなければいないのか?

将来、親の介護や看護が自分にできるのか?と不安を感じている人は多くいるようです。

また、親の介護をきっかけに子供時代からの親への無意識の感情が引き起こされて、複雑な心境になっているケースもあると聞いています。

我が家の場合、一人娘の私と長男の夫が結婚したので、どちらの親の面倒もみる覚悟ではいました。

けれども、私は親とは一般的な基準からみると「実にあっさりした」関わりをしています。

親との関わりの例・小谷家の場合

★父は18年前に他界。離れて住んでいた上、がんの末期を知らされてから1週間で亡くなりましたので、介護をいうようなものは全くしませんでした。

★義母は2年前に他界。亡くなる1年ほど前から入退院を繰り返し、在宅医療・訪問入浴のほか、施設入所もありましたが、主に義父が頑張ってくれていたので、私は義父への応援のつもりで夕食作りを頑張りました。

★その義父は現在82歳で元気に一人暮らし。近くに住んでいるので、なるべく頻繁に顔を見たり声をかけたりするようにはしていますが、家事など一切手伝っていません。ときどき夕食などを届けます。

★母は1年前までバリバリ元気に一人暮らしをしていたのが、現在要介護5で施設入居中の88歳。

施設では洋服のお洗濯も有料でやってくれるのですが、あえて私がやるようにしています。

というのは、私もフルタイムで働いているため、忙しさにかまけてしまうと母のことは2の次にして会いに行かなくなってしまうからです。

洗濯物を取りに行かなきゃ!と思うと、どうしても週に1.2回は行かなくてはなりません。・・・それくらいじゃないと行かない・・・というあっさりした娘なのです。

介護のイラスト「車椅子のおばあさん」

親への複雑な思い

冒頭の「子供時代の親への感情」ですが、私の場合、親から「とても大切にされた」というよりは気持ちを理解してもらえず苦々しい思いの方が強いです。

もちろん、親の方にはいろいろな事情があり、その中でも精一杯愛してくれたことはわかります。でも、子供時代の私にはそれが十分には伝わらなかった・・・。

だから今、親を手厚くみることはしませんよ!というつもりは全くありませんが、手取り足取り自分の時間を大幅に犠牲にして親の面倒を見ることは、自分には到底無理です。

そんな自分に対して「何か、冷たい」「薄情」「子どもとしてどうなのか?」という思いが全くないわけではありませんでした。

「親孝行は義務ではない」

でも、この間 髙橋リエさんという心理カウンセラーの方の文章に出会ったのです。

髙橋さんは「親の介護に向き合った時の子どもの苦しさ」に対して、「親の面倒は、みないでください」とおっしゃっていました。

「親孝行」は子どもの義務と思って、頑張って介護をする中で物理的にも精神的にもつらい思いをしている方がたくさんいます。

そんな方たちに向けて

「本来、親への感謝や恩返しは、自然にそうした気持ちがわくもので、義務ではないですし、親のために、子の人生を犠牲にしてはいけないと思うのですね。」

と書かれていました。

私はこの文を読んでホッとしました。

親の介護のために余り犠牲を払っていない自分のことを後ろめたく思わず

「無理のない範囲でやってる私だけど、それで十分」と思えたからです。

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介護の仕方は人それぞれでいいのだと思います。一生懸命それこそ24時間体制で頑張る人がいてもいいし、プロの手をうまく借りる人がいてもいいし、私のように仕事も今まで通りやる・旅行にも行くという人がいてもいい。

もちろん物理的に、強制的に時間をとったり気持ちを寄せたりしなければならないことは多くありますが、介護が原因で心や身体を病んでしまうようなことは避けた方がいいと思います。

それには「○○でなけでばならない」という強迫観念・思い込み・まわりの常識にとらわれすぎないことですね。

自分の心や身体が健康でなければ介護も何もあったものではありません。

そしてまた、今度は自分が年老いていったときのことをいえば、子どもに対して「あなたが面倒を見てくれるのが当然でしょう」という考えはきっぱり捨てましょう。

子どもには子どもの人生があります。「○○でなければならない」で縛るのはやめたいですね。

学校に持っていくぞうきんは買うべき?縫うべき?★あなたの「常識」は通用するのか?

ぞうきんを作って持っていくのは非常識?

我が家では古タオルがたまると小さく切ってウェス(汚れ拭き取り用のボロ布のこと)にしたり、ぞうきんを縫ったりしています。

子どもの学校で使うものもそれを持たせていました。

何十年も自己流で作っていたのですが、昨日ふと思い立って

「古タオル/ぞうきん/作り方」で検索してみました。

作り方はまぁみんな似たり寄ったりでしたが、それとは別にすご〜〜くビックリする記事を見つけたんですよ❗️

あるママさんからの投稿なんですが、ざっくり言うと

「ママ友が子どもに、古タオルで縫ったぞうきんを学校に持たせてたのがわかった。

非常識だと思い、子供がかわいそうだから買ったものを持たせるように忠告したが聞き入れない。

このママ友に非常識だとわからせるにはどうしたらいいか」

という内容なんですよ。

あたしゃ、もう、驚いて驚いて、

「ヒィ〜!私は子どもに平気で持たせていたよ!

非常識なのか?世間ではそうなのか?我が家は非常識だったのか?」

と愕然としました。

私の常識、あなたの非常識

回答がたくさん寄せられており、ひとつひとつ興味深く読みました。

その人その人に「常識」があり、また、それを裏打ちする理由もあります。

「常識」とは⁇⁇と改めて考えさせられました。

自分が「常識」と思っている事柄は、もしかしたら別の人にとっては「非常識」ともなりうる。

自分の「常識」は時とすると単なる「思い込み」である可能性もある。

それでは、こういう多様な価値観の今の社会の中で自分はどこに立って行くか?

……などと、ぞうきん1枚から深く考えてしまったわけです。

自分も周りも健康的に幸福に過ごすには

☆自分以外の多くの価値観を知ること

☆自分の価値観が自分や周りを苦しめていないか慮ること

☆自分の価値観を人に強要しないこと

☆自分の許容範囲を広げる努力をすること

などが大切ではないかな、と思いました。

他人の価値観が見えるようになってくると、その人がなぜ怒るのか?というのもわかります。

そうすると、怒られ強くなります。

「あの人はこういう価値観で怒っているのだな。なるほど。

聞く耳は持ちつつ、取り入れられることは取り入れよう。

でも、私には私の考えがある。あの人の価値観に振り回されることはない。」

そう思えます。

 

こういう記事が書けたので、ビックリ投稿をした「新品ぞうきん買うママさん」にも感謝の気持ちが湧いてきました☻

ありがとう〜〜!

いろいろな価値観を知り、いろいろな考えをお互いに受け入れあっていける世の中になってほしいですね!

我が子が自分と違っていてイライラする!ってことありますか?

子どもだった「自分」と比べてませんか?

子育てをする中で

「自分がこの子くらいのときはこうじゃなかった!」

と思うことがありませんか?

自分は *もっとたくさん食べた *もっと慎重に行動した *もっと勉強した  というようなプラスの思い出であれば、「自分は○○だったのだから、この子もそうなってほしい」と感じるかもしれません。

逆に *もっと引っ込み思案だった *もっと足が遅かった *もっと友達が少なかった  というマイナスな思い出の場合は 「自分は苦労したから、この子にはそうなってほしくない」と思うでしょう。

「こうなってほしい」「こうなってほしくない」の親の理想に子どもがあてはまっている時はそれでいいのですが、問題なのは「当てはまっていない」時です。

「夏休みの宿題は7月中に終わらせるタイプだった」なんていう親の元に、ゆったりのんびりギリギリでもいいや~タイプの子どもがいる場合、親の方はもういてもたってもいられなくてイライラ、ヤキモキしてしまいます。

「私は違った!この子、おかしいんじゃないの!?」などと感じてしまうことさえあります。

自分は自分

でもね、一般的に見れば7月中に終わらせるタイプだった人なんて、ごくごく少数だったはずです。

それは分かっていても、自分と違う我が子を目の前にすると複雑な心境になるというのはありますね。

自分の幼少期のあたりまえや失敗体験は強く心に刻まれるので、どうしても子育てに影響を与えてしまいやすいのです。

また、無意識のうちに自分と似ているのが当然と感じてしまっているかもしれません。

そのため、客観的な見方をするのが難しくなり極端な考え方をしてしまうことが多くなるんですね。

しかし、我が子と言えど違う人間です。

やり方やペースが違ってもあたりまえ。

「自分は○○だったけど、この子はちがうんだな~、まぁしょうがないか」

「自分もそうだったからこの子もそうなんだな~、まぁしょうがないか」とゆったりした目で見守ることができるといいですね。

心が楽になりますよ!

「はじまりは愛着から」佐々木正美著★を買いました

「子どもへのまなざし」の佐々木正美先生が、昨年6月召天されました。

悩めるお母さんたちにたくさんの慰めを与えた佐々木先生の最後の本が

「はじまりは愛着から」です。

挿絵はおなじみの山脇百合子さん。

そして、帯は児童作家の中川李枝子さんです。

中川李枝子さんの本「子どもはみんな問題児」をこの間紹介しましたが、中川さんと佐々木先生は同じ年齢でいらっしゃいます。

佐々木先生は、

「無条件の愛」で子どもを愛することが、その子の力を存分に開花させることにつながると述べ、

「根拠のない自信」を子どもに与える大切さを繰り返し説かれました。

内村鑑三の弟子であった義父の影響でキリスト者となった佐々木先生の思想には「キリストの無条件の愛」が反映されているなぁといつも思います。

 私は問われない限り、自分がキリスト者であることを語ることはほとんどありませんが、多くの人から、キリスト教をもって生きていることを指摘されました。・・・義父(岩島公)からは、それだけ大きな贈り物を与えられてきたのだ、とその都度思ってきました。

父は本当に敬虔なキリスト者であるから、自分が利己的で罪深い人間だということを熟知している。だからこそ、イエス・キリストの十字架の罪の贖(あがな)いによって、自分の罪が許され、生かされていることを固く信じて、感謝して日々生きている。・・・神様を頼りにして生きているから、楽に、そして強く生きられるのだということを、私はずっと教えられた。人間は本当に頼ることのできる人やものに恵まれた時こそ、安心して強く生きることができるのだということを、私は父から教えられてきた。・・・だから私たち夫婦は・・・いつも神の愛に恵まれて、罪を許されて生かされているということを意識している。(『出会いでつむぐ私の半生』ぶどうの木、6、75~77ページ)

副題の「人を信じ、自分を信じる子どもに」のかげには、「キリストの無償の愛を信じる」ということも含まれているのではないか?などとも想像しました。

佐々木先生の最期の贈り物としてこの夏、大切に読んでいこうと思います。

 

 

新幹線の座席、黙って倒す?★「よかれ」は人それぞれ

勝手に倒せや!

夏休み、新幹線や飛行機・高速バスなどで旅行に出かける人も多いかもしれません。

リクライニングを倒すとき、あなたは後ろの人に声をかけますか?。

この間ある有名人が、

「前の席のクソ野郎がおれが寛いでいるのにもかかわらず一々『席を倒していいですか?』とか聞いてきやがる。ウゼェ。勝手に倒せや。そうやって何でもかんでも保険かけようとすんな、ボケ」

とツイートしたことで賛否両論が叫ばれていました。

難しいですよねー。

相手がひと声かけてほしい人なのか、かけないでほしい人なのか、わかりませんからね〜。

ちなみにツイートしたその方は、CAやタクシー運転手の声かけにもイラッとするそうです。

イラッとするその感情はその人のもの

じゃあ、私たちはひとりひとりどう行動したらいいのか?ってことですが、

私は、それぞれがそれぞれの考えやポリシーの元に自然に振る舞えばいいのかな、と思います。

その人の感情はその人のものであって、周りの人間が関与しなくてもいいのではと。

私は昔はひと声かけてましたが、最近はちょっと様子を見てから勝手に倒しちゃってます。

もしそれで後ろの人が気分を害されたなら、それはそれでしょうがないじゃ〜ありませんか。

気分を害させてごめんなさい、という気持ちは伝えるけど、こっちは、気分を害させようとしてやったわけじゃないし、それ以上自分のことも相手のことも責めることはしません。

どう思われるか?をあまりに気にしすぎるばかりに、心が疲れて周りが怖くて、対人恐怖になってしまう人もいます。

善意をどう思うか?

は、受け取る側の問題です。

心の境界線を引いて、自分の問題かどうか問うてみる

心の境界線(バウンダリー)がしっかりしていると、怒られ強くなります。

怒るその感情は怒る人のもの。

その感情にいたずらに振り回されることはないんです。

ただ、「私は一切関係ございません‼︎」ピシャリ!…みたいなやり方は良くないですけどね。

誠心誠意で向き合うことは大切だと思います。

自分に非があるなら謝ることも必要かもしれません。

でも、振り回されない。

イライラスイッチは自分でON.OFFする

オロオロも、イライラも、

「誰かのせいで」させられているとしたら、

スイッチを入れるのは「誰か」ということになります。

だとすれば、感情を伴う自分の人生を「誰か」に支配されちゃってる!ってことになります。

そんなのイヤですよね。

感情はそれを感じるその人のもの。人生もその人のもの。その人が主体的に決めていくもの。

だからもう、「誰かのせいでイライラする」っていう受け取り方は変えた方がいい!

コックピットに座るのは「あなた」なんです!

パフェにとうもろこし?★自分の常識を破ってみる経験は何故いいのか?

勤務園で“ハロハロパーティ”をやりました!

ハロハロとはタガログ語で「まぜこぜ」という意味のあるフィリピンの冷たいデザート。

かき氷パフェとでもいうんでしょうか。

フィリピン人のママが準備してくれて、本場の味を楽しみました。

自分で好きなものを入れて作っていくのですが、なんと!

ゼリーやアイスクリームやココナッツなどといっしょに「つぶコーン」が置いてあるじゃないですかっ!

自分の常識を破ってみる

いや、いや、パフェ的なものにトウモロコシってないでしょ!

一瞬うぎゃっと思いましたが、優しいフィリピンママは「どうぞ〜」と微笑んでいます。

そこは飛ばすっていうこともできるけど、本場では入れるのね?そうなのね? じゃあ、やってやろうじゃありませんか!

おそるおそるアイスクリームやナタデココと一緒に「つぶコーン」も入れました。

・・・・・う!ウマイ!!!

合う!!

すっかり魅了されてしまいました。

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私たちは気付かないうちに自分の「常識」の中で生きています。

そして、その「いつもの」「あたりまえの」が壊されると違和感を覚えたりイライラを感じたりしてしまうものです。

変化に対応できる自分をつくる

アンガ―マネジメントのトレーニングの一つに「ブレイクパターン」というものがあります。

何か一つ小さなことでいいので、ワンパターンにやっていることを変えるのです。

いつも通っている道を変えてみる。いつも食べているあれを変えてみる。着るものを変える。言い方を変える。座る場所を変える。・・・などいろいろ考えられますね。

これは、自分から意図的に変化をつくれるようになることで、変化に強く柔軟性の高い心をつくるようになるためのワークです。

ワンパターンに生活することは効率的ですが、心の柔軟性という点では「こだわり」を強めてしまうこともあります。

「いつもの~~じゃなくても大丈夫」という状況に自分を置いてみるのは新鮮な経験になるかもしれません。

意図せずして「いつもの」生活ができなくなってしまうような時にも、柔軟に対応できる力が養われることでしょう。

どうぞやってみてくださいね!