受け取り方は人それぞれ★人の感じ方も受け入れると幸せになれる

NHKの朝ドラを見ています。

前作の「スカーレット」も毎日録画して、夕食の時に夫と2人で見るのが習慣になっていました。

(我が家はご飯食べながらのTVがOKの家です☻)

ハラハラしたり、ドキドキしたり、キュンキュンしたりしながら、あーだよねー、こーだよねーと夫と会話するのも楽しみの1つです。

しかし、先日何気なく、朝ドラへのコメントをネット上で見て、とてもびっくりしたことがありました。

私と夫は感じ方が似ているのか、これまでに「いや、それ、絶対違うでしょ⁉︎」というような見解の違いはあまりなかったと思うのですが、このネットのコメントには「へぇ〜、そういう捉え方もあるのね!」とビックリ。

主人公喜美子の息子が、白血病に罹ります。

ある時、親子3人でうな重を食べている時、息子が「味がしいひん。ようわからん。」と告白します。

喜美子は直前に主治医から、息子に味覚障害が出ていることを聞かされていました。

喜美子は息子の告白を聞きながらも、うな重を食べる箸を止めずパクパク食べながら「うな重たべ。食べんと力つきひん。」と言います。

ここ!ここです。

この態度について

「母親としてありえない」「鬼!」みたいな感想があったんです。

私は逆でした。

死が迫り来る現実を目の当たりにして、その中で、その恐怖を寄せつけない「何も変わらない日常」を貫こうとした喜美子の心中を思うと、泣けました。

パクパクたべながら、彼女こそ、味を感じられないほどの痛みを抱えていたんだろうと思うのです。

そして、私も、もし彼女と同じ境遇になったらそういう振る舞いをするんじゃないかな。

そうしたら、周りの人からは「鬼母」と思われるんだな、と思ったわけです。

他の場面でも、息子が陶芸展で母親の隣に作品を置きたいと言うと、喜美子は拒否します。「親の力借りるんか?自分で言い。」と突っぱねる喜美子に、ネットではやはり「余命幾ばくもない息子に拒否するか?」「間違ってる!」

息子の1人旅に付き合う暇はなくなったという喜美子に対しては、「病気の息子につきそう愛情はないのか⁉︎」と。

愛あればこそ、最後まで息子を1人の人間として、大人として見て尊重して接したのだ、と私には思えます。

同じドラマを見て、同じ場面を見ても、感じ方や捉え方は人それぞれなのだなと、改めて思いました。

でも、どちらが正しいとか間違ってるとかはないと思うんですよね。

自由に感じていい。

ただ、それを「強要」することは、自分にとっても相手にとっても幸せなことじゃないだろうと思います。

その捉え方はおかしいよ!その考え方は変だよ!って否定し合うより、

へぇ〜、そういうふうにとらえるんだあ、私はね…って、違いを楽しめたらお互いに幸せになれるんじゃないかなぁ。

違いを面白がり、たのしみあえる…そんな世界になってほしいです。

ラズベリーの新芽、出てきました♪

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