母から逃れようとした過去を思い起こす

この間の日曜日は母の日でしたね。

私の母は88歳。

至って元気な一人暮らしを楽しんでいましたが、4年前に脳腫瘍の手術を受けて以来認知症も発症し、今では我が家の近くの施設で暮らしています。

母の日に《母というもの》について少し考えました。

DVの父親から母1人子1人で逃げる生活だった幼い私には、母の存在は良くも悪くも「すべて」でした。

母にとってもそれは同じであったと思います。

かつて母は17で結婚して子供を2人も設けたものの、2歳と3歳のその子たちを置いて家を飛び出しました。

そんな過去があるからこそか、母は父から私を奪うことに必死だったようです。

母にとって私を育てることは、置いてきた2人の子どもへのせめてもの罪滅ぼしであったかもしれません。

私も料理が上手で美しい母が大好きでした。

けれどもなにか違和感を感じ始めたのは小学校高学年の頃でしょうか。

思春期を迎え、精神的に親離れを始めた時期と重なります。

母の過干渉とその逆の放置、人としての生き方への疑問…などが母との心の距離を広げていきました。

幼少期からの親1人子1人の家庭にはさまざまな課題がありますが、その1つとして「親と子の2人だけの世界」が構築されてしまうことがあると思います。

そこから「親離れ」をどうおこなっていくか?

互いに頼りあって2人の世界を壊せない「共依存」のパターン、

子どもは離れようとしているのに親がそれをさせないパターン、

親は子どもを自立させようとするが子どもにその力がないパターン、

など。

私の場合は2つ目だったのでしょう。

母はわたしを思い通りにしようとし、私は抵抗し、私は母と一緒にいることがつらくなりました。

気持ちが休まらず、むしろ傷ついてしまうのです。

でも、その気持ちは隠していました。

たった1人の母に対してそんな思いを持つのは非人道的なんじゃないか…と思っていたんですね。

*******続きは次回に*******

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