半年ほど前に「慈悲の瞑想」というものに出会いました。
「生きとし生けるものがすべて幸せであるように」と願う瞑想法で、もともとは仏教から来ています。
クリスチャンの私は、これに出会った時「聖書に通じる!」 と感じて毎日この瞑想をするようになりました。

↑これは簡易バージョン。
「親しい人」のところに家族や大切な友達の名前を入れ、*の部分を繰り返します。
同様に「嫌いな人が幸せであるように」の後に*、
続いて「嫌っている人+*」という風に瞑想していきます。
まず自分の幸せを願う
この瞑想のポイントは、まずはじめに自分の幸せを祈っていること。
聖書には「自分と同じように隣人を愛しなさい」とあります。
本当の意味で自分と和解し、自分を愛していなければ、他人を愛することはできないのです。
自分を大切にし、自分を思いやり、愛することは決して自己中心ではありません。自分を犠牲にして人に何かしてあげようとしても、いつか無理が出てしまいます。
自分を大切にし、自分を認め、自分を慈しむことこそ、他者への慈愛の始まりなのだと私は思っています。
慈悲の瞑想の効果
慈愛の瞑想を実践すると、イライラや怒りがなくなり、穏やかな気持ちになれると言われています。
私の場合は?
一番大きな変化は「この世で一番苦手だったあの嫌な虫」に対して、敵対心を抱かなくなったことです。
なんのことがわかりますか?
「ゴ」がつく虫ですよ。
幼少期にトラウマがあり、本当に嫌いでした。
この世から消え去って欲しいと思っていました。
ですが、慈悲の瞑想をするようになってから、「生きとし生けるもの」である彼らのことを、好きになれないまでも、「彼らに罪はないのだ」と思えるようになったのです。
虫に対してそう思えるのですから、もちろん、人間に対してはさらに穏やかな優しい気持ちを持てるようになりました。
街ですれ違う見知らぬ人のことも、「幸せでありますように」と祈ってしまいます。
怒りの沸点が低くなりました。
怒りの持続が短くなりました。
その人の立場や状況を「想像」することができるようになってきました。
苦手なものが少ないほど生きやすい
苦手なものが多いと、ストレスを感じやすく、心も身体も消耗しやすいですね。
逆に苦手なものが少ないと、過度にエネルギーを使わなくて済むので「ラク」です。
そのエネルギーを自分の幸せのため、人の幸せのために使うことができると感じます。
好転反応のある人もいる
好転反応とは、浄化の過程で一時的に悪い症状が発生することです。
慈悲の瞑想の好転反応は身体に現れるものや心に現れるものがあるそうです。
体調不良や気持ちの落ち込みやイライラの増加などの例があるということです。
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慈悲の瞑想は奥が深く、まだまだ極められてはいませんが、これからも続けていきたいなと思っています。