養生~命を養う★闘わず共に生きる

知人の息子さんで鍼灸師をしている方がいます。

最近、その鍼灸院のYouTube動画を見る機会がありました。

「養生」=「命を養うこと」=「医療」と言っておられて、音楽を聴くことや,ステキなカップでコーヒーを飲むこと、詩を書くこと、そして鍼灸もすべて命を養うことであり、そういう意味では医療なんだと言っておられました。

「病と闘う」というのでなく「養生」という言葉で表す東洋医学。

なにか心にストンと落ちるものを感じました。

東洋医学って何ですか?~養生~「おしえて三上先生」

以前の記事にも書きましたが、「慈悲の瞑想」をするようになってから、「この世からいなくなればいい」と思っていたあの嫌な虫(「ゴ」がつくやつ)に対して、「いてもいいや。いてもしかたない。でも、私とあなたでは境界線を作ってね」と思えるようになったんですね。

慈悲の瞑想とその効果

私はアンガーマネジメントの講師でもありますが、アンガーマネジメントの魅力は「怒ってもいい」「怒りの感情はあっても当たり前」として、自分の感情を否定しないこと、ありのままの自分を受け入れたうえで、ではどうかんがえるか?どう行動するか?ということに視点を置いているところだと思っています。

その存在を否定し、抹殺するという生き方は、実は不自由なんではないかと思えるのです。

虫であれ、自分の感情であれ、菌や、事象、病気や痛みであれ、それがあった上でどう生きるか?どういのちを養っていくか?というのが、自由な生き方、丁寧な生き方なんじゃないかなと。

このマザーテレサの言葉にも、そういう思いが込められているような気がします。

「私は反戦運動になど参加しません。平和運動なら喜んで参加します」

マザーテレサは誰もが知るように、カトリックの信者です。けれども、死にゆく人の傍らでその人の信仰に応じてコーランを読んであげたりしました。

自分がキリスト教の信者だからと言ってイスラム教を否定したり、キリスト教を強要したりすることはなかったのです。

ありのままのその人を否定せず受け入れて、寄り添う。

在るものを「抱き込む」「包み込む」という生き方は魅力的だと思いました。

それは丁寧に生きることであり、豊かに生活することであり、まさにそれこそが「養生」であって、真に自由でみずみずしいものです。

闘い続け、否定し続ける生き方というのは苦しく不自由なものでしょう。

私は自分の生い立ちから経験済みです。(DVの父親との確執から解放されたのは、父親を許し受け入れたときでした)

自分の心も身体も養生させながら、いただいている命を輝かせていきたいものですね!

上記の鍼灸師・三上先生はご自分でヨモギを摘みに行ってもぐさを作られたりしてるんです。わたしもやってみた~い!

庭のぶどうの花咲きました。

花弁のない質素な花です。